2017/07/14

20年ぶりの海水浴


小天橋海水浴場

小天橋海水浴場は日本海に面した京丹後市の海水浴場で海も砂浜もとてもきれいです。











小天橋海水浴場

毎年夏らしいことは何もしないまま季節が終わってしまう。
今年はなんとか海で泳ぎたいと思っていて
ピーカンの今日ようやくその思いが叶いました。
僕は海で泳ぐのが好きなのです。











小天橋海水浴場

まだ夏休みが始まっていないのでとてもすいています。
水はまだ少し冷たかったけど砂浜はアツアツ。










小天橋海水浴場

2時間ほど泳いで海の家できつねうどんを食べて。











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日焼けして帰ってきました。








2017/07/13

永遠の夏

eternal summer


今日も泳いだ
背中の皮が剥けるなんて何十年ぶりだろう
水を掻く腕の影が
光の網の中をゆっくり進んでいく






















2017/07/04

折にふれなば

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庄司薫氏の「白鳥の歌なんか聞こえない」には「折にふれなば何事かこころ動かさざらん」という一句がある。
あらゆる事を知り尽くしつつ何も生み出さないまま人生を終えることを由とする友人横田君の立場を擁護するための話のきっかけに薫君が引用したのがこの句なのだが、この句の意味を知らない読者は薫君の以後の話の意図を追いかけられなくなる。

僕も意味がわからなかったのでJapanKnowledgeで調べてみたが出典不明。
ネットで検索してみると奥さんの中村紘子さんが2003年のNHK人間講座「国際コンクールの光と影」で同句を引用されていることがわかったので(つまりご夫婦の間では当然この句の意味を共有しつつごく自然に日常会話にこの句が盛り込まれていたことが容易に想像されるわけだが、そしてそれはなんと知的レベルの高いご夫婦だったことだろう!)、それで僕もわざわざ同書を取り寄せてみたがやっぱりスッキリしない。僕は古文は苦手だけど自分で解釈してみることにした。

「折に触れて」は「機会あるごとに」という意味だから「何らかの機会も無ければどうして心動かされようか」、転じて「ひとが何かに心を動かされるのはやはり何かのきっかけがあってこそだ」、あるいは「きっかけ次第でひとはどんなことにでも心動かされうるものだ」、さらに砕けて言えば「蓼食う虫も好き好き」というほどの意味か。

そうすると、それはつまり小説の本文に戻れば、慌てず騒がず飄々と生きているようにみえる横田君が実は「死に急いでいる」という深刻な事情を彼自身の口から聞いてしまったことで、彼の一見楽天的に見える生き方を無碍に否定できない、つまり「折にふれなば何事かこころ動かさざらん」という訳なのだ。

あとはこの句の出典が明らかになればすっきりするのだが、本居宣長あたりだろうか。どなたかご存じですか?














2017/07/02

weeds

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最近シャンプーでなく石鹸で頭を洗っている。
僕は元々寝癖が酷くて(爆発アタマとかライオンとか呼ばれていた)学生時代にはこっそり父親のポマードなんかを拝借して誤魔化していたが、あるとき、たぶん働き始めてからと思うが洗面所で頭全体をお湯でシャワーしてバスタオルで拭くのが一番簡単に寝癖がとれることに気が付いてからは今でもずっとその方式を踏襲している。
そして僕はこんな簡単な方法で解決したことに驚き、それ以来たとえ永年苦労していてもふとしたきっかけでものごとは意外なかたちで解決することがあるものだということのたとえに使ったりしたが、当然ながらあまり共感してもらえなかった。まぁそりゃそうだろう。
ところが先日ふと思いついて石鹸で頭を洗ってみたら翌朝寝癖がない!なんと何もしなくても髪型がまとまっているのだ。もちろん洗った当座は髪の毛がギシギシするし髪の毛や地肌に良くないような気もするが、まぁどうなったって禿げるだけだし自己責任だ。写真は関係ないようであるような公園の雑草。


















2017/07/01

紫陽花

hydrangea

メニエール病による眩暈と耳鳴りと難聴で5月末から休職して一ヶ月。耳の変調以外は元気なので運動不足解消のために水泳したりジョギングしたりしていたんですが、今度は急な運動がたたって膝や股関節の痛みで蟄居を余儀なくされています。ずっと家にいると気が滅入ってくるし妻のすすめで夕方久しぶりにOM-D E-M1にノクトンの25mmを付けて写真散歩。これはガードレール脇に咲いていたおかめ紫陽花。









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