2017/05/05

river of May

river of May


もうカメラ・写真なんかどうでもいい。何ならやめてもいいと思うくらいになってからカメラとの本当のつきあいが始まるのかもしれない。
もちろんそれなくしては日も夜も明けぬという時期はあるだろうけれど、その時期を過ぎたらじゃあもう別れるかというふうに考えるんじゃなくて、さてそこから穏やかなバランスのとれた生活が始まるんだと。

















2017/05/04

the season of fresh green

the season of fresh green


近場でばかりで撮っているとレンズ個々の魅力に頼らざるを得なくて、それに飽きたらもう撮れない。
でもそのためにスペクタクルな場所へ出掛けるというのは気が引ける。
そもそも誰のためにスペクタクルな場所に出掛けなければならないのだろう。
そういう行為って僕の中では何だかあさましい感じがする。

行楽でも仕事でもいいけど何かほかに当地へ行く理由があって、行ってみたら魅力的な景色なりひとと出会ったので写真を撮りたくなったというならわかるけど、写真を撮るためにスペクタクルな場所へわざわざ出掛けるというのが何だかいやなのだ。
それはつまり僕の中で写真を撮るという行為がかつてのような自己表現ではなくなってきているせいかもしれない。
















2017/04/22

原平さんの「いや」




今日久しぶりに赤瀬川原平さんの「金属人類学入門」をお風呂に持って入った。
僕はいろんな本をお風呂で読むけれどとりわけ原平さんの本が好きでよくお風呂で読むのだ。
その金属人類学入門の最初の方に次のような文章が載っている。

「人間とはそういう生き物らしい。親孝行したいときには親は無し型生物といわれている。いわれているかどうかは知らないが、ちょうどカメラの世界がそういうところにさしかかっているのだ。
いやカメラに限らないことだが、身の回りから急速に金属が減ってきている。もちろん高層ビルは中にたくさんの鉄骨が使われているが、それもしかし最近は柔構造となって、鉄の量は昔にくらべて減っているのではないだろうか。
いや専門的なことはわからない。でもカメラが金属製品でなくなってきていることはわかるのだ。機械製品でもなくなって電子製品になってきている。それはそれで世の中の発展に過ぎないことだけど、何故かカメラファンには不満が広がっている。
いや調査したわけではないが、自分の中のカメラファン度である」

若い頃の原平さんは思考という列車に乗ってどこまでも行ってしまう人だった。
どこまでも、というのは思考の極北、それはいわば「正気の終わる場所」で、その駅にたった一人降りたった彼は、幾度と知れず底なしの孤独と恐怖を味わったことだろう。
思考と理屈の行き着く先はハーレムではなくこの世の理解を絶する理不尽との相克という切り立った崖っぷちであり、それ以上進めば死か狂気しかなく、そこから引き返すには「冗談」や「笑い」という薬が彼にはどうしても必要だったし実際それは彼を救う特効薬だった。

原平さんの「いや」は思考の列車の一両目が地を離れて二両目もそれを追って地を離れようとするところで必ず現れて、彼の足を地面に引き戻す。そこに彼特有のユーモアが生まれる。














2017/04/12

霧桜

霧桜

川縁の桜シリーズはこれで終わりです。
こんな景色にはなかなか出会えないのでこれからどんな写真を撮るか悩みどころです。













2017/04/01

2017/03/29

2017/03/27

手垢が見える写真。手垢が見えない写真。

山椿


自分の作った作品を見ていいなと思う。
なかなかそうはいかなくて、いやだなと思うことも多い。
作品が自分の手を離れて自立していること。自分の手垢が見えないことがいいなと思える条件かもしれない。
ではそれはどんなときに可能か。

もちろん手垢は付きまくっている。
それは、何を撮るかどう撮るか、撮った写真をどう仕上げるかという工程そのものが手垢の集積のようなものだからだ。
手垢は付きまくっている。しかし見るものの眼にテーマだけが入ってくる作品と手垢が前景化する作品とは何が違うのか。

おそらく手垢が目立つ場合というのは、このように仕上げたい、いや、作品自身がこのように仕上がりたがっているという道が不明瞭で、その道を試行錯誤した手垢の厚みが厚くて、そしてそれはそもそもその道が、つまりテーマが弱かったからそうなってしまったわけだが、その弱かったテーマが厚い手垢でさらに見えにくくなってしまっている場合ではないか。

良い作品はテーマが強い。
テーマが強いとあまり手垢をつける必要がない。手垢が少ないのでさらにテーマが前景化する。

〈後日追記〉
テーマが弱くてもそこには何かがあるという思いが強ければ、その思いが掘り続ける意欲につながり、掘り続けることでようやくテーマがくっきりと姿を現す。何かがあるという思いが弱ければ掘り続けることはできず、テーマが弱いまま、未練だけで作品を提示することになり、手垢が前景化した写真となる。








2017/03/25

current

current


まさか自分がメリル三兄弟を買い揃えるとは思わなかった。
3だけ持っていた時はそうでもなかったけど1と2を買ったら不思議と持ち歩くようになった。荷物が増えたのに逆に持ち歩くようになったのは撮影の自由度が広がったからだと思う。クアトロは僕には大きすぎる。メリルのコンパクトさが好き。

この写真は水面ギリギリにカメラを据えて撮った。こんな時ほどアングルファインダーが欲しくなることはない。今朝寝床の中であれこれ考えてメリルの背面液晶に潜望鏡のようなものを装着したらどうだろう、でも上からのぞき込むということは鏡一枚で上下が逆になるから、それなら結局フリップバック アングルビューファインダーでいいんじゃないか。跳び起きて、がらくた入れの中からフリップバックを探し出した。
結局ね、僕は「ちょうどいい不自由さ」を探しているのかもしれない。














2017/03/24

2017/03/23

2017/03/21

2017/03/20

forest

forest
Sigma DP1 Merrill


初代DP1の画像を見た時の驚きは強烈だった。ネットではDP1Mの評判があまり芳しくなかったこともあってDP1とDP1Mはどれくらい違うのかを確かめるために山へ行き三脚おっ立てて撮影。結果は当然といえば当然だけどDP1Mのほうが圧倒的に優れていた。DP1がf4始まりなのでDP1Mのf2.8は負けるかと思ったけどMの方が解像していた。Mはf2.8とf4が解像のピークでそれ以上絞ると落ちていく。僕としてはそれだけわかればもう十分で、さらにUNのルーペを使えば三脚は不要。シグマを使う時は解像の奴隷にならないことが大切だと思う。

玄翁池は上流の小さな池と下流の大きな池の間に細い水路があって水路の土手には冬枯れのすすきが豊かに茂っている。すすきの黄金色の光が木立を後ろから照らして玄妙な景色を作り出していた。










2017/03/19

川の風景

river
Sigma DP3 Merrill


水位観測所を今度はDP3 Merrillで。やはりDP3Mは解像がすごい。Flickrで開くと画面上端から下端に向かってピリピリ薄皮が剥がれていって、微細な粒子に覆われた画像全体が姿を現すあの感じ。
この写真はガードレールに足を引っかけて上半身を川側に乗りだして撮ったけど、川岸に降りれそうなので次回はブーツを履いてこよう。きっと川岸からいい写真が撮れる。川から蒸気が上がって靄が立っているときなんかに撮れたらいいけどそれはまた来年の冬。







2017/03/18

水位観測所

gauging station
Sigma DP1 Merrill

通勤の途中にある水位観測所。
何年も前からずっと撮りたかったけど撮らずにきた。
前作の天文台でこのトーンのイメージがつかめた。
今回DP1Mを手にしてまさに満を持しての撮影。
やれやれ、やっと撮れた。








2017/03/11

天文台

observatory


アバルトが初めての車検から戻ってきた。
一週間振りに乗るアバルトの印象は「なんちゅう凶暴なクルマや。わしはこんな凶暴なクルマに乗ってたんか」というもので、それでもやっぱり楽しくて久しぶりにドライブに出かけた。
買って三年間ずっとスポーツモードだったが、田舎道をのんびり走りたくてスポーツモードをオフにして走行。
以前はスポーツモードオフだと走りがかったるくてすぐにオンにしていたが、スロコンのおかげで走りはそれほどダルにならず、ステアリングが軽い分いい感じで走り続けた。

どこへ行く当てもなく走っているうちに山道を走りたくなって自然と行き先は大野山に決定。
つづら折れをどんどん登って山頂に着くと三月だというのに寒風が吹きすさんでいてなかなか寒い。駐車場にクルマを止めて歩いて頂上へ。そこで撮った写真が上の写真だけど、一応持って行っていたD800Eでも撮ったけど、なぜかiPhone6で撮った写真の方が気に入って、家に帰ってからその写真を加工してFlickrとブログにアップした。

この写真の仕上がりにはとんでもなく満足していて、自分で言うのも何だけど見るたびに感動している。
色のトーンが、それは中世の西洋絵画、ブリューゲルの描いた農民画やダビンチのモナリザや受胎告知の背景の色合いに似たトーンなんだけど、この炭のような黒と暗茶がなんともいえず美しい。そして遠くに光が当たっている天文台もいい。
自分の作った作品にはいつもそれなりに納得はしているが、まるで他人の作った作品のように感動できるのは稀だ。

これからもこんな作品を作りたい。スクエアがいいな。ハッセルなんかはどうだろう。ここしばらくライカM10やフジのGFXに心が揺り動かされていたけど、ハッセルでこの景色を撮ったらいいものが撮れるんじゃないか。
そう考えて以前ハッセル熱に浮かされていたときに買いあさった本を引っ張り出してきて読んでいるうちに、やっぱり自分はフイルムを現像に出して返ってくるの待つのは無理だと思い直した。
でもデジタルバックという手があるじゃないか、以前はとんでもない価格だったけどもうそろそろ安くなってるんじゃないかとネットで調べたらセンサーサイズがフイルムよりかなり小さい。大きいのもあるけど何百万もする。

うーん、ダメか。あ、しかし小さめのセンサーサイズでいいならGFXでいいじゃないか。そうだ、やっぱりGFXだ、というのでFlickrでGFXで撮られた写真を見てみたが、どれもパッとしない。何が気に入らないかというと、中判だ、中判だというわりに撮られた写真が僕のイメージする中判写真と違うのだ。
Flickrでみるハッセルの写真と何が違うかというと、中判独特の遠近感というか不思議な立体感がGFXで撮られた写真には感じられないのだ。なんというか、GFXの写真って35mmフルサイズのデジタル写真のちょっと大きいだけみたいな。いやもちろん画素数が多いだけ精細ではあるんだろうけど中判としてのありがたみがあまり感じられないのだ。

それならGFXにハッセルのVマウントレンズを装着すれば解決するんじゃないか、実際それ用のマウントアダプターも発売されだしたみたいだし。
いやしかし、35mmフルサイズよりちょっと大きいだけのセンサーサイズにハッセルのレンズを付けるだけならD800Eにハッセルのレンズを付けて四角に切り出せばいいじゃないか。そしてそれなら防湿庫に眠っているノリタの80mmF2のレンズを手持ちでD800Eに付けて撮ってみたらどうなるだろう。
それでそのとおりやってみたらそれなりの写真が撮れたけど、なんだかどんどん違う方向に行っている気がしてようやく思考と妄想の暴走列車が停止した。

寒風吹きすさぶ大野山山頂で、三脚立てて中判カメラをおっ立てて、あれこれやっている自分はやっぱり想像できない。
そもそも上の写真はiPhoneじゃないか。iPhoneでもこれくらいの精細さで簡単に撮れるのに。
そうだ、中判並みに精細に撮れるといえばシグマのDPシリーズじゃないか。
そうだ、今こそずっと買いたくてあきらめていた評判のいいメリルシリーズをコンプリートするタイミングじゃないか(僕はDP3Mをすでに持っている)。
それで今日DP1MとDP2Mを中古品で注文して妄念の暴走列車は本当に、最終的に停止した。
なんまんだぶ。

















2017/03/09

tone

tone #1
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S















tone #2
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S















tone #3
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S









2017/03/07

ume

ume
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S















2017/03/06

山椿

camellia
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S


写真を撮り始めてもうすぐ十年になるけど、僕は基本的にAモード、つまり絞り優先モードで撮ってきた。
といってもほぼ開放でしか撮らないのでいじるのはISOと露出補正ダイヤルのみ。
測光モードはまずマルチパターンで撮ってみて、露出補正ダイヤルでうまく調整できないときはスポット測光+AEロック。

気に入った被写体を見つけたら対象との距離、角度、構図、光の入れ方をあれこれ変えながら何枚も撮る。
でも光の入れ方を変えながらAEをロックしたり解除したり露出補正ダイヤルで調整するよりも、Mモードでシャッター速度を変える方がずっと楽だということに先日ようやく気がついた。
さらにこれくらいの光ならこれくらいのシャッター速度という大体の感覚が、それはフイルム時代の人ならみんな身につけていたと思うけどようやく僕にも身近に感じられてちょっとうれしかった。

追記
ネットでMモードを検索するとカメラと車とエロと心エコーという、普段あまり接点のない4つのカテゴリーがネット上で交錯しあっているのは面白いですね。














2017/03/05

紅梅

紅梅
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S












2017/02/26

oblique composition

oblique composition
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S













2017/02/23

hydrangea in the light


in the light
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S
















2017/02/20

decayed

decayed
Nikon D800E Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF













2017/02/19

冬の紫陽花


hydrangea
Nikon D800E Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF


D800Eをずっと使っている。
何年使ったか、3年くらいかと思ったら今年の春で5年だった。
写真を撮りだして、このブログを始めたのが10年前の春だからその半分を一緒に過ごしてきたことになる。
最初はこんなプロ仕様のカメラを自分のようなアマチュアが買うなんてすごく贅沢だと思っていたが、5年も使っていると手になじんでしまった。
上の写真もそうだけど、ミリタリーブーツを履いて、サバイバル用のニーガードを膝に当てて、這いつくばってアングルファインダーで見上げて撮るのが僕の撮影スタイルだ。カメラは当然泥だらけの傷だらけ。
今更下取りに出したところで安値は覚悟だが今のところ売る気はない。

新しいカメラが欲しくないと言えば嘘になる。
ずっと気になっているのはライカ。
これは赤瀬川原平さんの影響もあるけど夢にまで見る。いや冗談じゃなく。
仕事中も、ふと気がつくとライカのことを考えていたりする。
それがもう、何年も前からだから、じゃあなんで買わないか。

それはやはり僕はひとを撮らないからだと思う。
僕は基本的に他人に興味がないのだ。
一番自分にむいていない仕事に就いていてこんなことを言うのもなんだけど。
ただもうすぐ還暦だし還暦になったら仕事を辞めてライカを持って旅に出るというのが今の唯一の心の支えになっている。

次にすごく気になっているのはフジのGFX 50S。
知ってる人は知ってるので、もうとやかく言わないけれど僕の中ではオールマイティのカメラ。
対象を突き詰めて、追い詰めて撮るというスタイルで行くなら僕にとってこれ以上のカメラはない。

最後にもうひとつ気になっているのはニコンDf。
最近年のせいかAi Nikkor 50mm F1.2Sのゆるい写りがとても気に入っている。
このAiニッコールをDfに付けてブラブラ散歩しながらレイドバックな写真を撮れるならライカを買わなくてすむし。
ただDfはまだ大きい。もっとコンパクトなフルサイズのミラーレスが出たらいいのに。
フジやライカに出来てニコンに出来ないはずがない。
負債を抱えて沈没しかけているアップルに戻ったジョブスが、いたずらに拡大した多種の製品販売をすべて中止してiMacで勝負したように、DXとか1インチはすべてやめて、Fマウントレンズをアダプターで使えるフランジバックの短いコンパクトなフルサイズミラーレスを早急に開発販売するのが、ニコンが唯一生き残る道だと、内部のひとはみんなわかってるはずで、それが出来ないのは過去の伝統に対する愛着やしがらみや渡世の義理や頭の固い幹部達や、みんなの嫌われ者になっても大なたを振るえる人がいないせいだと思うけど、ニコンはこのまま膨大なレンズ群とともにタイタニックのように静かに沈んでいくのだろうか。











2017/02/18

scene

scene
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S


旅に出よう。
鞄にレンズを
二つ三つ入れて

旅に出よう。
ポケットに甘い香りの
煙草をしのばせて

旅に出よう。
内なる傷は
そのままに

旅に出よう。
くびきにひしぐ
わたしゆえ















2017/02/12

water scene

water scene


僕は滋賀の浜大津に住んでいたことがある。
昨日大学卒後三十年の同期会があったので久しぶりに同地を訪れた。

ホテルまでは大津で降りて歩いて行けばいいのだが、京阪電車に乗りたくて山科でJRを降りて京津線に乗り換えた。
京阪の京津線はのんびりした電車で、山科から四宮、追分、大谷を過ぎるとスキール音をたてながら古い市街の曲がりくねった軌道を民家をかすめながら走るのが相変わらず楽しい。

浜大津に到着したが同期会までまだ五時間ある。
溶けかかった雪の残る道を当時の面影をたどりながら歩いた。
住んでいたアパートは持ち主が変わって見た目も変貌し、よく利用していたマーケットは閉店、銭湯は更地になっていた。

それでもあれこれ思い出すことも多く、でもなぜかあまり写真を撮る気にもなれず気がついたら琵琶湖の畔まできていた。
湖面を眺めているうちに写真を撮りたくなってD800EにAi AF Nikkor 28mm F2.8Dを付けて写真を撮る。
同期会が始まるまでホテルの風呂に浸かって芯まで冷えた身体を温めた。








2017/02/04

an uphill path

an uphill path
Nikon D800E Ai Nikkor 50mm f/1.2S


登り坂の上あたりに柵らしきものが見える。
実際それは鉄柵なのだが、ピントが合っていないせいかぼやけて見える。
いや、ピントは合っている。と撮影者である私が言う。

しかし鉄柵の輪郭がフレアでぼけてしまっている。
フレアのせいでピントが合っていないように見える。
ニッコール50mmF1.2Sとはそういうレンズだ。

以前の私ならこういうショットは何のためらいもなく捨てていた(私は元来くっきりしたものが好きなのだ)。
しかし最近私はこういう写真を捨てられないでいる。
それはこの写真全体に漂う独特の空気と光のせいだ。
ちょっとバルビゾン派の絵画みたいな。

光と空気の印象はどこから来るのだろう。
「光をフレアとしてとらえる」
と呟いてみる。











2017/01/26

fallen tree

fallen tree


山道を登っていくと溜め池がある。
結構大きな溜め池で、池と言うよりも湖といった方が良いかもしれない。

その湖の畔に倒木を見つけた。
湖面に倒木の白い木肌が映えて美しかった。

湖畔から撮ると俯瞰になる。
湖の向こう側からなら湖面すれすれに撮ることができそうなので、向こう側の湿地帯に回り込むことにした。

ところがその湿地帯は本当のぬかるみで、ブーツを履いた足が泥から抜けない。
おまけに湿地帯を覆っていたのはイバラのヤブで、手袋をしていなかった手に無数の引っ掻き傷。
ようやくたどり着いた樹の根元でファインダーを覗いたら今度は近すぎて絵にならない。

それでその年はあきらめて、今年同じ場所を訪れたらそのまま俯瞰で撮れそうな気がした。
135ミリで覗いてみたらなんとかなりそうだ。
手応えがあったのに帰宅してPSで処理してみたらいい絵にならない。
だいぶ頑張ったけどだめだ。

四日経ってもう一度写真を見た。
画面に占める樹の領域が広すぎるようなのだ。
それでPSを使って周囲を広げ、広がった周囲を周辺減光や色調補正などで調整した。

何よりここ数日僕の頭を占めていた個人的で陰鬱な悩みが写真のトーンとタイトルに表れて、四日前にはただ美しいだけで成立しなかった写真がようやく立った。