2015/01/11

アリバイとしての現代芸術

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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55

現代芸術というのは芸術がどんどん自由になって芸術が芸術であるための枠組みを自ら破壊していった残骸のようなもので、それを再生産し続ける限り現代芸術は宗教かファッションかパロディになってしまうというようなことを赤瀬川原平さんが「芸術原論」の中で述べている。
なるほど現代芸術がつまらないのはそれがアリバイとしての意味しかないからで、犯人はもうそこにはいないのだ。現代芸術に漂う独りよがりな感じは、それが製作者にとってのアリバイとしてしか存在していないからで、さらにトマソン(超芸術)というのは芸術の枠を飛び出して無意識の沃野(=都市)に飛んでいった蝶(芸術)であり、路上観察学会は捕虫網(カメラ)を持ってその蝶をを追いかけて捕獲しようとしていたのだ。








2 件のコメント:

  1. t-s-wegner1/12/2015

    ひとの反吐 美しいと位置づける キュレーター
    57歳 男性

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  2. t-s-wegnerさんありがとうございます。
    どんな創作物も多少なりともそういう側面はありますね。
    問題はその反吐がもう一度食べられるかどうか?(笑)。

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