2014/03/27

USE IT OR LOSE IT

医療の世界には「廃用症候群」という言葉がある。
家族の助けで何とか自立していた高齢者が誤嚥性肺炎などをきっかけに入院すると、絶食と安静のために身体各種の能力が低下して自立できなくなってしまう。

動かないことで筋力が低下し、筋肉を制御する脳の働きも低下する。
食べ物を飲み込む嚥下反射や嚥下のための筋力も低下し食事が食べられなくなる。
病院という、言葉の通じないジャングルのなかで患者は新たなコミュニケーションを構築することができずに認知能力を失っていく。
可動性を失った精神と肉体はやがて空間と時間を泳ぎ抜く力を失って生者の群れから脱落していく。

もちろんそうならないように医師だけでなく看護師、理学療法士、言語療法士、作業療法士、栄養士、ケースワーカー達は患者が生者の世界に踏み止まれるように入院の早い段階からチームとして介入するが、point of no returnを超えた患者を呼び戻すのは容易ではない。

以前は失われた身体能力をサポートするために人工呼吸器につないだり胃瘻を作って栄養を投与したりしたが、それも最低限の生命維持能力しかサポート出来ない。
言葉を交換し、愛を交換し、財貨サービスを交換するのが人間なら、みずからそのような人間の定義から外れてしまったらこの生者の世界を潔く去りたいとして生命維持のサポートを望まない人々が最近非常に増えてきた。
もちろん人間であることの定義や考え方は様々だが少なくとも総体としての社会的コンセンサスはこの2~3年で急激にシフトしたというのが現場の印象だ。

で、この重いテーマは前振りで実は本題はクルマの話。
昨日WIREDにAudiの新しい自動運転システムの記事が載っていた。
例えば買い物帰りに自宅から呼び出したクルマが何もしなくても主人を自宅まで送り届けてくれて、それはつまり進化した車載モバイルプロセッサーがお抱え運転手を務めてくれるようになるということなのだが、この記事を読んだ時のなんだか笑ってしまうような感じはどこから来るのか。

使わない機能は失われる。
その失われた機能をサポートするために優れた機能が投下され、それによってさらに機能が失われていく。
いや、別にいいんだと。クルマは移動のための道具にすぎないんだから。
しかし高性能の人工呼吸器のおかげで自分で息をしなくてすむようになって、寝たきりのあなたはその自由を何に使うのだろう。




0 件のコメント:

コメントを投稿

twitter