2013/06/17

苦い蜜と甘い蜜

crab

誰でも風邪をひくが、風邪をひきつづけるのは難しい。
ある状態が生体内で続くためには、例えそれが病的なものであっても存続するための「経済」が成立する必要がある。
それがいずれ宿主の命を奪うとしても、ただ奪うだけでは中長期的な存続は出来ない。

経済とはすなわち宿主との交易関係である。
疾病利得という言葉があるが、慢性疾患において疾病はその宿主と何らかの交易関係にある。
医療の現場では、患者が疾病を「離したがらない」ために結果的に難治になるという事例が発生する。
だから適切な治療を行なっているにもかかわらず病態が好転しない場合は患者と疾病が裏で結託していないか疑ってみる必要がある。
ただしすべての慢性疾患がそうではない。
治療者はあらゆることを疑うがこの結託もその一つにすぎない。

ではその疑いが濃厚な場合治療者はどのように対応すべきか。
患者と疾病がこのような強固な関係を持ってしまった場合、患者を無理やり疾病から引き離そうとしても上手くいかない。
治療者はまず患者が「結果的に」どのような利得を得ているかを知らなければならない。
結果的にという言葉を括弧付きにしたのは、患者自身はこの交易の存在を全く知らないからである。
あなたは疾病から利益を得ていると告げても患者の反感を買うだけである。

治療者は裏取引に気がついてもすぐには手を付けず、一般的な治療を行いながらチャンスを伺う。
必要な検査を行い、適切な治療を行なっているにもかかわらず進展がない状態が続くと
やがて患者と治療者は広い太平洋の真ん中で運悪く無風のヨットに乗り合わせたような面持ちで顔を見合わせる時がやってくる。
空は青く、見渡す限りどこまでも広い大海原の真ん中でヨットはピタリと動かない。
運が良ければそのとき患者はみずから結ぼれを解くだろう。
あるいはまだ患者は交易を手放す時期ではないかもしれない。
その場合患者が得ている利得を疾病以外の方法で患者自身が手に入れるかもしくは治療者側が提供出来れば疾病は疾病で在り続ける必要がなくなり宿主を去るだろう。

さて、疾病と似たものに「愚かさ」がある。
ひとは誰でも愚かだが、愚かで在り続けるためには頑固でなければならない。
ではなぜひとは頑固なのか。その固着も、結局宿主が愚かさから得ている利得に原因があるのだが、愚かさの甘い蜜は「責任回避」にあると思うのだがどうだろうか。






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