2013/01/28

逃げる意味

"えー、昨日「(映画)大脱走」のところでお話したとおりですね、
「それが意味することの取り消しを求めるシニフィアンを中心として全ての欲望は編成される」と。
「大脱走」の場合はですね、それが存在すると、それが何を意味するかということを知られた瞬間に
全てが瓦解してしまうためにですね、登場人物全員がそれがないことを欲望する、
あるいはそれがあることを否認するもの、トンネルですね、
それを中心として物語が編成されておりましたが、
えーここではですね、
「それが意味することの取り消しを求めるシニフィアン」、
えーこれがですね、
実はトラウマでもなんでもですね、全部に共通する条件なんです。

「それが意味することの取り消しを求めるシニフィアン」、
トラウマもそうですからね、それを中心として人間の欲望が構築されていると。
それについてラカンはこう書いていますな。
「シニフィアンというものは、その位置をずらしながらでなければ保持され得ないものである」。
うーん、こういう所にマーカーを引いてくださいね。
「その位置のずらしは原理的に次々と場所を入れ替えることで機能している。
一巡して元の場所に帰ってくるために、シニフィアンは最初の場所を離れなければならない。

シニフィアンの位置のずらしは、主体たちがどういう行動をするか、どういう命令に従うか、
何を拒絶するか、何を見誤るか、何に成功するか、どういう幸運を引き当てるか、
更にはどういう生得的な才能を備えているか、どういう後天的形質を獲得できるかまでをも決定し、
この決定には主体の性格も性別も全く関与しない。
そして心理学的な意見はすべていやもおうもなく、完全にシニフィアンの歩みに従うだろう」

すごいですね・・・。人間の中心、全てはこれ。まぁこれ非常にきっぱりとですね、
デカルト以来の心身二元論、コギトを中心とする自我論を根本から否定するような発言なんですね。
そうではなくて問題はシニフィアンなんだよ、運動するシニフィアン。
「転移」なんですね。ここで行われているのは、実はですね、シニフィアンのすり替え、
シニフィアンのすり替えのことを精神分析の現場では、治療の現場では「転移」と呼んでいます。"

2005年12月20日から4日間にわたって行われた「映画論」と題する内田樹氏の京都大学集中講義からの抜粋です。
この講演は汲めども尽きぬヒントの宝庫で、僕はこの7年あまりの間に
この講義をおそらく何百回、いやたぶん千回近く(笑)繰り返し聴いてきました。
そしてたぶんそのなかで一番コアな部分、それだけに一番わかりにくい箇所もここなんですが
それを耳ではなく目にして何度も掘り返したいと思いMP3から書き起こしてみました。
著作権を放棄しておられる内田先生のことだからたぶんクレームは来ないと思いますが
問題があれば削除します。
それにしてもこの講演内容を本にしてくれたらこんな苦労もいらないんだけど。
内田先生のサイトからはもうとっくの昔にこのMP3は購入できなくなっているし。

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