2012/11/24

autumn in gold

autumn in gold
Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC
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autumn in gold
Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC
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モノはナゼ立体に見えるか。

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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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ものがなぜ立体に見えるのかをできるだけ簡略に説明してみる。

まず眼の前に人形があるとする。
この人形を片目ずつで見比べると明らかに我々は左右で違う映像を見ていることがわかる。

像は二つでも同じ一つのものを見ているのだから、脳はこれを統合しようとする。
右目と左目で見る映像がほぼ同じだと脳の苦労は少ない。
しかし左右の映像が大きく異なると脳は困ってしまう。

脳はいずれこれを統合するか、あるいはどちらか一方の目で見た像を統合像として代用するが
この脳の困り具合が大きい(統合されにくい)ほど物体は近くにあるか奥行きがあるかあるいはその両方である。

逆に脳は自分が困れば困るほどその物体は近くにあるか奥行きがある証拠だと認識して(それを逆手に取って)
自分の困り具合を奥行きのパラメーターとして利用しようとする。

つまり立体感とは脳の困り具合(左右の映像の統合のされにくさ)の程度を言い換えたものである。

以上本当かどうか責任は取りませんが(笑)昨日の「中判写真の持つ不思議な立体感について」の補足です。

付記:
「統合の不可能性」をモノの奥行き認識に利用するなんて、脳はなんてしたたかなんだろう!

付記その2:
鳥や虫は我々人間と比べて左右の目の間隔が非常に狭い。
左右の目の間隔が狭いとモノを立体的に見難いだろう。

しかし自分より小さな虫を食べるトンボや雀などを見ていると
彼らは我々人間よりも空中の獲物を捕える能力が高そうだが、それはなぜ可能なのか??

おそらく彼らは空中を上下左右に移動することで対象との距離感を掴んでいるのではないか。
例えば左右に30cm移動すれば左右の目の間隔が30cmの生物になったのと同じなわけで
空中を上下左右に高速移動できることが彼らの立体把握能力を何倍何十倍にも増幅しているのではないか。


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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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2012/11/22

中判写真の持つ不思議な立体感について。

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Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820

修理から帰ってきたNorita66でうさ太郎をモデルに撮影。













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Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820















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Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC

右端に縦の露光不足が出ています。これはもう直らないのかな。













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Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC

35ミリでこの距離だと平面的になりますが中判だと 被写界深度が浅いので
ボケの中に対象が浮かび上がってとても印象的になる訳ですね。

ボケの中に対象が浮かび上がるというのはマクロですよね。
つまりこれはマクロのボケ方ですよ。
それなのに対象は(マクロで撮る虫とかじゃなくて)普通の大きさなわけです。

ということは例えば仮に僕らがガリバーになって小人国に 来て
マクロレンズで小人国の世界を覗いたらこんなふうに見えるんじゃないか。
それが中判の写真の不思議な立体感の秘密なんじゃないか。












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Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC

あるいは本来僕らには世界はこんなふうに見えているのに
35mmで普通に撮ると立体感が乏しいのに
6×6で撮ると僕たちが見ている立体感に近く見えるから印象的なのか。
確かに僕たちの左右の目の間隔は6cmなんだし。


対象に焦点を合わせると、周りにある距離の違うものは焦点が合わないわけですが、
100m先の電柱と110m先の木は、左右の目の間隔が6cmの僕らの眼から対象まで線分を引くと
どちらの対象も眼からの線分の角度はほぼ同じなので
一方に焦点をあわせても、他方はボケない。

でも10cm先のペンと11cm先の鉛筆は、左右の距離が6cm離れた我々の眼から対象までの線分を引くと角度が大きく違うので、どちらかに焦点を合わせるともう一方には焦点が合わないのでボケる。
そしてこのボケを、我々は立体感という感覚に置き換えて知覚している。

写真は2次元だが対象とその周囲のボケによって対象までの距離と立体感を感じることが出来る。

それが、我々が感じる対象までの距離に反してボケ量が少ないと立体感が乏しいと感じ
対象までの距離以上にボケ量が多いと立体感が強いと感じる。

また、我々は経験的に、近くにあるふたつのものは一方に焦点を合わせると他方はボケるのに対し
遠方にあるふたつのものはどちらに焦点をあわせてもボケにくい。

つまり大きくボケているものは近くにあるか、小さいものだ。
あまりボケていないものは遠くにあるか、大きいものだ
というふうに解釈する習慣があるとする。

すると6×6で撮った自転車の周囲が大きくボケていると
その自転車は近くにあるか(マクロ)、小さいものだ(マクロ)と感じる。
しかし我々は実際の自転車の大きさを知っているので、実際以上に立体感を感じる。

あるいは逆に、35mmで撮ると自転車の周囲が大きくボケない。
するとその自転車は実際よりも遠くにあるか、大きなものだと感じ、
それが我々の知る自転車の位置や大きさと異なるので、リアル感が少ない。
しかし6×6ではその距離感や大きさが実際の感じ方に近いのでリアル感を感じることが出来る。

さらにいえば、ノクチルックスみたいな開放F値が低い(明るい)レンズは
絞りを開放した時の光の入ってくる間隔が広いので
我々の左右の目の間隔である6cmに近づくのでボケやすいと。
開放F値の大きな暗いレンズは光の入ってくる窓(絞り)の間隔が狭いために距離感が出にくいと。

撮像素子の大きなカメラはボケやすく撮像素子の小さなコンデジはボケにくいということも
以上のことをイメージすると直感的に理解しやすくなる。

そういう事?
いや単なる想像ですが。

2012/11/21

第4世代iPodのバッテリーを交換する。

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2005年に買ったiPod U2 Special Edition。iPodとしては第4世代。HDDは20GB。














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数年前から車載オーディオに接続して車内で使っていましたが
シガーソケットから取った電源ケーブルをつないでも立ち上がらない日が多くなってきました。













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それで意を決してバッテリーを交換することにしました。
iPodの裏ブタを開けたところ。青いのはHDD。













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HDDをソケットからはずしたところ。














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強固にひっついていた古いバッテリーをはずしていきます。














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なんとかはずれました。














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新しいバッテリー。¥1,680なり。
第4世代のiPodの純正バッテリー容量は900mAhくらい?
このバッテリーは1300mAhなので純正よりかなり持ちがいいはず。












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HDDを戻しました。
実はHDDの容量もいっぱいなのでHDDも30GBか40GBあたりに交換したいところです。
今回でやり方が分かったのでいずれ交換するかも。
なお交換の仕方はYouTubeを参考にしました。











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裏ブタを閉めたらさっそく元気よく起動しました。成功!














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7年間iPodの中で仕事をしていたバッテリー君、ご苦労様でした。

2012/11/20

11月20日

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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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2012/11/18

初冬の侯

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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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作者の不在

cinematic

たしかに上手い。上手いんだけど、どうにもその上手さが鼻につく写真というのがある。
これを例えば「うまくさい」と名付けよう。

うまくさい写真には二つの性質がある。
其ノ一、心を動かす力がない。
其ノ二、写真がドヤ顔。

うまくさい写真の最大の特徴は写真の横で作者がこちらの様子を窺っているという点にある。
その写真の横には作者がいる。

一方、心を動かす写真の最大の特徴は、そのギリギリ感にある。
それはまるで精いっぱいで、なおかつ作者が目指したのはそれでもその写真のまだ少し向こうにあるような感じ。

そしてその写真の横に作者はいない。
たしかに嘗てそこに作者は居た。しかし今は居ない。

作者はもうどこか遠くへ行ってしまったのだ。
われわれの知らないどこか、それはたぶん写真のむこう側。

その写真を見るものは、決して作者に追いつくことは出来ない。
鑑賞者が写真を見るよりも速く作者は去っていく。
我々が見ることが出来るのは作者の後ろ姿だけだ。

2012/11/17

子供は自由か?

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子供には無限の可能性があるので、その創造性の邪魔をしないように十分な環境を整えてあげるべきだという考えがある。子供には無限の想像力があるのに大人になるにつれて想像力はどんどん貧弱になっていくと思っている人もいる。

無限の想像力とはなんだろう。
動物と会話ができたり酸素なしで海底や宇宙空間を歩いたり未来と過去を行き来したりすることを想像する力のことだろうか。

子供の発育過程で描く絵には一定の発達パターンがあるようだ。
それと同様に子供の思考パターンというのはわずかな人間的歴史、乏しい感情経験、獰猛な生理的欲求などによって拙い固定観念やぎこちない思考の道筋、数少ないパターン的思い込みなどといった、むしろ固着的といってもよいほどの不自由な状態に留まっている。

数えきれないほどの不能から徐々に制限が解除されて出来ることが増えていく。

人間の脳というのは他者と関わりを持たないままだと非常に固定的な道筋の、単純な思考パターンに留まる傾向があって、ひとと話をしたり、本を読んだりすることで新しい思考の運動パターンを獲得していく。

例えば数学など、こんなものなんの役に立つのか、社会に出て一度も使わないものをなぜ学ぶ必要があるのかと問う人がいるが、何の役に立つのかわからないということそのことが、それを学ぶ唯一にして最大の理由なのであって、そんなことを言っても一向に学ぶモチベーションが上がらないから「つべこべ言わずに勉強しろ」という役割を大人は担っている。

つまりひとは生得的に自らに課せられた思考の不自由さから自由になるために学習ということをする。

だがここで与えられた知識や思考形式を脳の倉庫にただ貯めていくだけでは試験をクリアーしていくための道具にすぎないわけで、自転車を与えられた少年が自由に自転車に乗りこなせて片手離しや両手離しやウィリーが出来るようになるためには自転車と遊ぶ必要があるように、その知識や思考形式を道具として使えるようになるためにはそういった知識と遊ぶ必要がある。
その、知識や思考パターンと遊ぶというのが実は「考える」という行為のことである。

それでこの、知識や新しい思考パターンを外から入手するという行為と、その思考パターンと遊ぶという行為は、自転車の両輪のようにいずれもそればかりに偏っては良くないと。そこで論語が出てくる。

子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。

「学びて」の「学」は伝授が行われる場所を意味する。先生から知恵を授かること。ならう、まねるという漢字と同系統。
「思いて」の「思」は田+心。田は大泉門、つまり脳のこと。考えること。心でいろいろと思い巡らすこと。
「罔し」の「罔」はモノの上にかぶせて見えなくするための網のことで本体が見えないこと。
「殆し」の「殆」は死+台で、台は行為を意味する。これ以上動くと死ぬ、すなわちもう少しで良くないことが起こる危険な状態のこと。

すなわち学びて思わざれば則ち罔しとはいかに勉強熱心でも考えるということをしない人はいつまでたっても物事の本質が見えてこないということで、思いて学ばざれば則ち殆しとは勉強なんか無意味だと言って学ばないひとはえてして妄信的で危険であるということを言っている。

雨で写真を撮りに行けないので以前から気になっていた孔子の言葉で遊んでみました。

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2012/11/16

カメラのある風景

NORITA

僕はいわゆるカメラオタクとかメカフェチとかではないと思うけど
カメラのある風景には何かしら心惹かれるものがある。













NORITA

それは例えば鉄の重みとか手触りとか冷たさとか
鉄とガラスを組み合わせてできた機械に与えられたカメラという機能とか
機関車や戦車や銃のようなものに男の子が抗いようもなく惹かれる気持ちとも繋がっている。












NORITA

機械は美しい。
あ、やっぱりメカフェチか。

2012/11/15

ノリタのウエストレベルファインダー

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Norita66を落としてシャッターが降りなくなってしまった事件から3週間。
今日職場から帰宅すると二つの小包が届いていました。
一つは修理から帰ってきたノリタ君。
そしてもう一つは。











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eBayで購入したノリタのウエストレベルファインダーです。














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箱を開けると誇らしげなNORITAの文字が。














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ほとんど使った形跡のない奇跡のような一品でした。














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さっそく現在装着中の大きくて重いTTL露光ファインダーを取り外して














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ウエストレベルファインダーを取り付けてみます。
とても身軽になったノリタ君。
ウエストレベルファインダーでは露光測定できませんが
露光はペンタックスのスポットメーターで測るからこれでよいのです。











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このバーを右にスライドすると














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ファインダーの上部が開きます。














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するとこのように














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折りたたまれていたパネルがパタパタと開いて














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拡大レンズが展開して出来上がり。














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こんな姿です。














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そしてこの拡大レンズを持ち上げて














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反対側に倒すと














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気分はハッセルかローライか(笑)。














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最初わからなかったのがこの前の部分の扉のようなもの。
押すと凹みます。













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いっぱいまで押すとパタンと倒れて中は空洞。なんだこりゃ。














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後ろに開いた穴からむこうをのぞくと














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なんと、これもファインダーです。
穴が四角なのは6×6だからですね。
ただこの穴は本当にただの穴なので
上から覗いてピントを合わせたあとに構図を決めるためだけの覗き穴なのでした。

2012/11/09

autumn

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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
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