2012/12/31

12月31日

Mamiya RZ67 Pro II ;-)
View On White

久しぶりに晴れて今日は今年最後の写真散歩に行きました。
RZ67のデビューです。写真が出来上がるのは正月明けかな。
以下の写真は全部D800Eです。











The Last 2012 Sun.
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On White

2012年最後の太陽。













Untitled
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On White

マメ科の植物ですね。名前はわからないけど。













Untitled
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On White















Untitled
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On White















Untitled
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On White

来年も写欲の低下にめげず
このツタのように粘り強く写真を撮っていこう。












Untitled

というわけでみなさんありがとうございました。














Untitled

来年もよろしく!(お、重い)。

2012/12/30

12月30日

Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On Black

今日も雨。
写真を撮りに行けないので昨日没になった写真をアップするという姑息な手段で御機嫌を伺います。
既出のショットの前景のボケを外して撮ったもの。











Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

ミツバツツジの枝にふわりと落ちたもみじ。













Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

落ち葉の間からかわいい若葉が顔をのぞかせていました。
これはヨモギや人参の葉に似ていますがたぶんムラサキケマン。
多くのケシ科の植物と同様この植物もアルカロイド系の毒を持っています。
雑草の名前を調べるのは骨が折れますが
今回はこの本を参考にしました。(アフィリエイトはしてませんww)。

2012/12/28

マクロプラナー讃

Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On Black

ゆうべから今日は絶対RZ67で写真を撮りに行くんだとはりきっていたのに今日は雨。
それでも身支度を整えて出かけようとしたら
雨の中を連れ出すなんて新しいカメラがかわいそうと諌められ
遠足が延期になった小学生のような顔をして部屋に戻る。










Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On Black

午後2時くらいに雨が小ぶりになったのでD800Eにマクロプラナーを付けて家を出た。
実を言うとマクロプラナーは修理に出していたのだ。












Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

前玉が汚れていたのでコシナにレンズ清掃に出したのが
昨日修理から帰ってきた。












Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

今日はマクロプラナー1本で撮ってみよう。













Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On Black

開放合焦部のキレと美しい滲みがすばらしい。













Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On Black

以前「美女とお寺と満開の花」は
うっかり近づくと撮らされ写真になってしまうので避けていると書いた。
そういう「準備万端、お膳立ての整った被写体」と対峙するときは
こちらにもそれなりの覚悟がいるわけだが
枯葉なんかは「まさか自分が撮られるとは思っていない」ので油断している。








Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On Black

こちらの思う壺なわけで、いわば先手を打っているので有利だけれども
それでも腹を据えて詰将棋のように逃げ場をなくして
にじり寄るように正面から対決しなければならないという点では同じ。










Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

さらに言えば
実は枯葉の全てが油断しているわけではない。
枯葉の中には、「ひょっとしていつか私も注目される時が来るかもしれない」と思って
人知れず謙虚にその時を待っている枯れ葉もあるのだ。
そういった枯葉をちゃんと見つけてきれいに撮ってあげる喜び。ヘンタイか(笑)。









Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On Black















Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White















Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White















Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

えーと、何の話でしたっけ(笑)。あ、そうそう。
マクロプラナーは油絵のようなタッチと言うんでしょうか。
ほんとにいい描写をするレンズだと思います。

2012/12/22

RZが来る。

R0011633

それはつまり中判カメラのNorita66でフィルムに抵抗がなくなってからだ。
星のように遠いハッセルがニワカに現実味を帯びてきたのは。
さらに例えばマミヤ67とかペンタックス67とかローライにも興味が湧いてきて
関係書籍を買い込んだりネットで調べたり。

最初に手を出したのがマミヤRZ67ProIIで、Sekorの50ミリと110ミリ、各々のフード、120と645のマガジン、
蛇腹フード、電磁レリーズとマニュアルとストラップ全部込みで7万円でどうだ!というカメラ屋の親父の口車に乗って
ホクホクしながら帰宅後電池を入れてみたら電子シャッターが下りないことに青くなり
補償なしで購入したことを深く深く後悔しながら翌日返品しに行ったら
二つ返事で引き取ってくれたのでやれやれと。

それでここは一番やっぱりハッセルだろう。4年前に何気に買ったカメラ・ライフVol.1がハッセル特集で
フィルムの装填の仕方などの記事が役に立つ日が来る可能性は万に一つもないと思っていたが
世の中何が起こるかわからないからと思って買ったこの本も何かの縁だったのだ、ついにその日がやってきたのだと
心に思い固めて、グーグルマップに大阪・神戸の中古カメラ屋の印をつけてうろうろ歩きまわり
日夜ハッセルの研究に余念なく、まだ買ってもいないのに使用上の注意まで暗記するばかりか
お風呂にまでハッセルの本を持ち込んで熟読し
周りの迷惑も顧みずなんの興味もない人にまでハッセルの歴史を吹聴するなど馬鹿の所業としかいいようがない。

ところが思い余っても物事は思い通りいくわけはなく
むしろ空回りした思いがつんのめってちぐはぐなことになるのも世の習いで
知識はどんどん増えるけれど眼鏡にかなった選択肢はむしろどんどん狭くなる。
そしてついに欲しいのに手に入らないという苦しさから逃れるために、
もうなんでもいいや、と戸板をひっくり返すような暴挙に出た。
修理不能のとんでもハッセルをeBayで買ってしまったのだ(やれやれ・・・)。

このハッセルは部品用の名目で下取りに出してふりだしに戻り
やはり信頼出来る店で買うのが一番と目星をつけた店に通いつめたが、今度は店の主人と反りが合わない。
こちらは買いたくてウズウズしているのに売ってくれない。
自分の納得のいかないものは売れないとは、若いのになかなか見上げた親父だ。
うーむ、しかしそれにしてもどうもこれはやはりハッセルとは縁がないということではないのか。

などということをぼんやり考えながら最初に買いそこねたマミヤ67のことを思い出す。
あの時は危うく不埒な買い物をするところだったと安堵したものの、
しかし印象的だったのが、普通のカメラはヘリコイドでフォーカスを合わすのに
マミヤ67は本体の横に付いたダイヤルを回すとレンズが蛇腹で前方に繰り出していくという仕組みで
そういう機構のことをラック&ピニオンという。
ちなみにこのラック&ピニオンというのは、丸ギア(pinion)と平ギア(rack)の組み合わせで回転運動を平行運動に変える機構のことで
例えば普通の車のステアリングはラック&ピニオンだけど、ベンツはステアリングフィールを重視して
オリジナルのリサーキュレーティングボール方式を採用していたというのは、まあどっちでもいい話。

さてそのマミヤの繰り出し方が尋常じゃないのだ。
ビックリするほどどんどんレンズが前方に伸びていく。つまり、
標準レンズがそのままマクロとして使えるという店員さんの説明にひどく驚いた。
なるほど、たしかにカメラとしては大きくなるけどなかなかおもしろい工夫だ。
さらにカメラ本体ではなくマガジンをくるりと90度回転するだけで縦長写真が撮れて、
また90度回すと横長写真に戻れるという機構もとても便利。
本体の側面にレンズの繰り出しによる距離目盛と露出倍数目盛グラフが表示してあったり
(これは計算するのがとても面倒なので繰り出し量で自動的に露出倍数がわかるのはすばらしい工夫!)
さらに撮影時に置き場に困ってなくしたりするマガジンスライドを挿しこむ隙間がしつらえてあったり
不注意な操作をするとシャッターが降りない幾つものフェイルセーフが設けてあったり
基本的にこのカメラに込められた様々な工夫は
どれもこれもなんだか江戸時代のからくり細工じみていて面白くかつ発想が痛快で
これを作った間宮精一というひとの人柄が偲ばれる。
実際努力家で頭脳発明でイノベイティブなひとだったらしい。

それでマミヤ67で撮られた作例をFlickrでつらつら眺めてみる。
ここからは今まで以上に主観的になるのだが、
ハッセルで撮られた写真がどちらかというとウェットなのに対し
マミヤ67で取られた写真はドライな感じがする。
ドライというのは写真の質感のことを言っているのだが
マミヤの写真の表面は乾いているような印象を受ける。
あるいはハッセルの写真が現し世的であるのに対しマミヤの写真は何となく冥府的な感じがする。
そういった感じがどのようなファクターに関係があるのかはわからない。
おそらくプラナーとセコールというレンズの違いからくるのだろう。
そしてNorita66もハッセルほどではないが現し世的なものを感じる。

何を言いたいかというと、ハッセルやノリタはやはりスナップな側面があって
日常をすくい取る道具というか、そこはかとない風情をすくい取る道具という、
これは僕の中での位置づけなのだが、マミヤはどちらかと言うと彼岸的。
どうせ僕はスナップには向いてないのだから
日常の中に潜む彼岸を見つめるにはマミヤのほうが似合ってるんじゃないかと。
それで今日新同品のマミヤRZ67ProIIをネットで注文した言い訳を長々と書いてみた。

2012/12/19

飽きる秋

Untitled
Ricoh GRD4
View On White

やがて子猫がボールに飽きるようにいずれ大人は飽きる。
新しいおもちゃに興味を示さなくなる時も遠からずやって来るだろう。
それが今なのかどうかはわからないが、しかし何となく撮るべきものはあらかた撮ってしまったような気がする。











Untitled
Ricoh GRD4
View On White

ハッセルに踏み切れない理由もそこにある。











Untitled
Ricoh GRD4
View On Black

写真に飽きているという確かな実感。











Untitled
Ricoh GRD4
View On White

撮りたい写真を撮ってしまったら煩悩が成仏してしまうんだろうか。











Untitled
Ricoh GRD4
View On White

それでもやっぱりまだワクワクしたい気持ちはある。
ワクワクする写真と出会ってそのひとの眼を欲望すること。












Untitled
Ricoh GRD4
View On White

博「いいですか、兄さん!勉強したから眼が悪くなってメガネを掛けるんです。メガネを掛けたら頭が良くなるわけじゃないんですよ!」
寅「気分だって言ってんの、気分から入るんだからさ、新しいフンドシをすれば気持ちもキリッとするじゃないか」
博「今はフンドシの話をしてるんじゃありませんよ、メガネの話をしてるんです」
寅「おまえもわからない男だな、例え話を言ってんだよ、おまえだって新しいことをする時に新しいフンドシをしたらそういう気持ちになるだろ?」
博「僕はパンツですよ」
寅「そうか、お前はパンツか、おまえみたいなパンツ野郎とはお話にならないよ」
博「パンツをはいてどこが悪いんですか!」
(寅次郎立志編より)

2012/12/14

鈍色

grayish discoloration
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On Black

12月14日

Untitled
Norita66 with Noritar 2/80
View On Black

ボケのコントロールが難しい。
ファインダーで見えるボケ量と仕上がりでのボケ量に違いがあるような気がする。

2012/12/12

12月12日

Untitled
Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820
View On Black

ようやく納得できる1枚が撮れた。うれしい。













Untitled
Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820
View On Black















Untitled
Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820
ss2 f22
View On Black

絞りすぎるとコントラストが低下するということ。













Untitled
Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820
ss1 f16
View On Black

F16くらいがいいのかも。ピントは一番奥の木。

2012/12/09

12月9日

Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

フィルムの魅力に気が付いてからというもの
中判カメラをあれこれ物色するようになり
まずはマミヤ67に手を伸ばした私であったが
中古カメラ屋で購入したカメラに電池を入れたら電子シャッターが下りないことに気が付いて
あえなく翌日返品と相成った。










Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

次に古いハッセルをeBayで購入したが
修理の名人もお手上げで部品用として下取りに。











Untitled
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF
View On White

それなら信頼出来る店で買えば良かろうと
毎週のように神戸や大阪へ繰り出して
某店店主と交渉を重ねること三週間。
相撲で言えばどうにも立ち会いからして相性が悪く
こちらは買う気満々なのに自分の店の商品にあれこれ何癖をつけて売ってくれないという
蛇の生殺しのような悶々とした日々。









Untitled
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black

これはきっとノリタの呪いに違いないと確信し
今日はノリタとニコンを持って写真散歩に出かけた。












Untitled
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black

写真散歩は随分久しぶり。
三脚を立ててノリタで撮ったりニコンで撮ったりして
寒い初冬のひとときを楽しんだ。
明日は雪が降るらしい。

2012/12/02

鬼海弘雄写真展

鬼海弘雄写真展

藤田一咲さんの「ハッセルブラッドの日々」の中で一咲さんが鬼海弘雄さんにインタビューする箇所があって
鬼海さんの返答がいちいち深い。その鬼海氏の言葉を幾つか。

「構図には気を配る。ましかくな写真は構図がとてもむずかしい。それだけにハッセルブラッドで撮る写真は、構図が命。」

「写真はもちろんノートリミングでなければいけない。だから撮る時から構図はよく考えなければならない。」(同書)

「ピントはきっちり合わせる。アナウンサーが言葉をはっきりしゃべるように、写真家はピントを合わせることが大切。
そして、撮るときは人でも風景でも、お願いして撮る。」(同書)

「人に声をかけるのは苦ではない。カメラは人と人を結ぶ関係性のためにある。
人に声をかけられないくらいなら、カメラはやめたほうがいい。」(同書)

「デジタルはたしかによく写る。だが、写りすぎて物事をよく考えない。物事は欠落した部分がないと、具体的なものは見えてこない。
またプロセスがなさすぎて、自分の持っているものを濾したり、寝かしたり、発酵させることが出来ない。」(同書)

「写真がいかに写らないかを知った時、そこから写真は始まる。」(同書)

「ハッセルブラッドはいいですよ。トレッキングから本格的な登山の気分になったら、
中古でいいから、買ってしまいなさい。そして、撫でていなさい。」(同書)

ネットで調べたらうちの近くの伊丹市立美術館でちょうど鬼海弘雄さんの写真展の真っ最中。
しかも今日は鬼海弘雄さん自身が来館されてギャラリートークをされるという。それは是非行かねば!
ということで今日は初めて写真展というものに行ってきた。

美術館に到着して鬼海さんの写真を見る。
浅草寺のコンクリートの打ちっぱなしを背に被写体を真正面から捉えた息詰まるポートレートの数々。
これはすごい!と思いながら1作品1作品ゆっくり観ていく。

ポートレートに続いて東京の下町の見窄らしい家々の写真が並ぶ。
ポートレートに比べると家々の写真の緊張感はややトーンダウンする。
ポートレートと下町界隈の写真の繋がりがよくわからない。

下町の写真が終わると再びポートレート。
その1枚目の、「大工の棟梁」という写真の強い力に圧倒される。
じっと見ていると棟梁の両眉がお城の鯱に見えてきて、さらに短パンにアンダーシャツで座っている姿全体が立派な天守閣に見えてきた。
それで、鬼海さんのポートレートと町並みの写真の繋がりがわかった気がした。
ああ、この人はひとをを建物としてみているのだ。(※)

人生の、永いトンネルを抜けるうちにあちこち傷んできて、その傷んだ部分をいろんな物で補強しながら
傾いた安普請の、それでもなんとか威厳や愛嬌を保つために家のあちこちに妙ちくりんな飾り物や看板をぶら下げて
なんとかかんとか建物として立っている、その愛すべきひとびとのすがた。
そのなりたち、そのひとをそのひとたらしめているしくみ、構造を、彼は真正面から捉える。
そしてまた建物も長い年月で傷んで傾いた部分を補強して立っている姿はそこに住むひとのメタファーでもあるのだ。

そこから生まれてくる巧まざるユーモア。
「風刺や皮肉はレベルが低い。まず相手を肯定することからユーモアが生まれる。」(氏のギャラリートークより)

そして彼の写真は真摯さとユーモアの間を振り子のように揺れ動いていて
人物に比べて建物の写真の緊張が低めなのはどちらかといえばユーモアの方に振れているからなのだろう。

氏のギャラリートークではその他にもさまざまな印象的な言葉を聞くことができた。
思い出すままに書いてみる。

「4時間、5時間かかっても何も撮れない日もある。」

「どうしても撮りたいひとが現れるまでは撮らない。いかに撮るかより、いかに撮らないかのほうが大切だ」

「どうしても撮りたいひとというのは、そのひとの属するタイプの代表みたいなひとです。」

「ひとは自分がなりたくないひとの写真は見たくないんです。
僕はどんなに見窄らしいひとでもナザレのイエスだと思って撮ります。」

「ひとを撮るときに盗むように撮るから怒られる。「僕がどんなにあなたの写真を撮りたいか」を真正面から真剣に言えばわかってもらえます。」

「ああ、光がこっちからじゃなくて反対側から当たっていたら素晴らしい写真になるのに、と思う。
それで、夕方にもう一度来たらその光が手に入るとしても、そのためにもう一度ここに来ることはない。」

「僕は三脚もフラッシュもレフ板も使わない。この写真で下から光が当たっているのは雪です。」

「どうして三脚を使わないか。ほんの少しあおったりほんのわずかに角度を変えただけで、すごく大きな変化が生まれるんです。
その絶妙なポイントを探るためには三脚ではだめなんです。」

「僕が写真を勉強し始めた時、暗室での仕事をマスターしなさいと言われた。
暗室なんて、半年くらいでやりかたはマスターできるわけです。
そしたら哲学の師匠の福田定良先生が、君が理解したと思う時間の三倍やりなさいと言った。
それで僕は三年間暗室を勉強したんです。先生は偉いもんです。」

「何が困るといって、被写体のひとが自分をアピールするためにポーズをとることで、僕のモデルは自意識の強い人が多いからポーズを取りたがる。
そんな時は、「あれ、シャッターが降りないぞ、どうしたんだろう?と言うと、モデルさんが、え?どうしたの?とポーズを崩した瞬間に撮る(笑)。
あるいは「ちょっとその左足に体重を移してみて」とか、「それじゃあ運転免許証みたいだよ」とか言ってみる。
どうしてもポーズを崩さないひとの場合は2~3枚そのポーズで撮ってあげてそのあとこちらの希望を撮らせてもらう。」

「同じひとを15年も20年も経ってまた撮ったりするんです。僕が浅草で写真を撮っている。すると向こうからそのひとがやってくるわけです。
あ、来た!と思うわけです。もう顔も姿もすっかり変わっている。でも僕は一度撮ったひとはすごく鮮明に覚えているからわかります。」

「誰が撮っても同じになるような景色は撮りません。そこに魅力的なひとが現れて、はじめて撮ります。」

「写真の魅力を創りだすのは写真そのものではなくてその写真を見るひとの想像力です。
でも写真の側に多くの情報量がないといろんな想像をしてもらえないんです。正確にピントを合わせる意味もそこにあります。」

「僕は立派な暗室で現像してると思ってる人が多いと思いますが、お風呂場です。引き伸ばし機もラッキーです。」

「僕が写真を始めた頃、60万円だったハッセルが並行輸入で30万円で手に入るという話があった。
僕はそんな高級なカメラを使いこなせると思えなかったし、別に欲しいとも思わなかったのに、
僕の哲学の師匠の福田定良先生がポンとお金を出してくれた。
だから僕はこのカメラで撮るたびに、いい加減な写真を撮っては福田先生に申し訳ないと思いながら撮っている。」

そんな話を、味わいのある山形弁で語ってくれました。
ほかにもいっぱい話して下さったんですが、僕にとって印象的な部分だけを書き出してみました。


[追記]
聴講者は多かった。70人くらい来てたんじゃないだろうか。
女性が多いことにも驚きました。男性3に対し女性7くらい?


[更に追記]
それで思い出すのは宮崎駿監督の「ハウルの動く城」で、
あの奇怪な継ぎはぎだらけの、ガラクタの寄せ集めの、
どこが出口で、どこに繋がっているのかわからない
そして内部に様々な部屋を蔵してぎこちない動きをする城は
おそらく青年期の宮崎駿氏自身の自画像であったろうということで
それは僕自身が青年期に自分のことをそんなふうに感じていたから
実感としてよく分かるわけです。


(※)鬼海さん自身がそういう視点で撮っているというんではなくて
彼がそういう視点で人物を見ていると仮定すると見えてくるものがある。

このひとはこういう視点で物を見ているのではないかという補助線を引くことで
あ、わかった!と思う。

さらに言えばわかった!というのは
自分の船からその人の船に瞬間移動で乗り移ったような感じ。
その人と同じ船に乗って同じ波に揺られて同じ物を見る。
そのひとの見え方と感じ方にシンクロする。
その人の船に乗れたら、それが僕にとってわかったということ。


2012/11/24

autumn in gold

autumn in gold
Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC
View On Black















autumn in gold
Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC
View On Black

モノはナゼ立体に見えるか。

Untitled
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On Black

ものがなぜ立体に見えるのかをできるだけ簡略に説明してみる。

まず眼の前に人形があるとする。
この人形を片目ずつで見比べると明らかに我々は左右で違う映像を見ていることがわかる。

像は二つでも同じ一つのものを見ているのだから、脳はこれを統合しようとする。
右目と左目で見る映像がほぼ同じだと脳の苦労は少ない。
しかし左右の映像が大きく異なると脳は困ってしまう。

脳はいずれこれを統合するか、あるいはどちらか一方の目で見た像を統合像として代用するが
この脳の困り具合が大きい(統合されにくい)ほど物体は近くにあるか奥行きがあるかあるいはその両方である。

逆に脳は自分が困れば困るほどその物体は近くにあるか奥行きがある証拠だと認識して(それを逆手に取って)
自分の困り具合を奥行きのパラメーターとして利用しようとする。

つまり立体感とは脳の困り具合(左右の映像の統合のされにくさ)の程度を言い換えたものである。

以上本当かどうか責任は取りませんが(笑)昨日の「中判写真の持つ不思議な立体感について」の補足です。

付記:
「統合の不可能性」をモノの奥行き認識に利用するなんて、脳はなんてしたたかなんだろう!

付記その2:
鳥や虫は我々人間と比べて左右の目の間隔が非常に狭い。
左右の目の間隔が狭いとモノを立体的に見難いだろう。

しかし自分より小さな虫を食べるトンボや雀などを見ていると
彼らは我々人間よりも空中の獲物を捕える能力が高そうだが、それはなぜ可能なのか??

おそらく彼らは空中を上下左右に移動することで対象との距離感を掴んでいるのではないか。
例えば左右に30cm移動すれば左右の目の間隔が30cmの生物になったのと同じなわけで
空中を上下左右に高速移動できることが彼らの立体把握能力を何倍何十倍にも増幅しているのではないか。


Untitled
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
View On White

2012/11/22

中判写真の持つ不思議な立体感について。

Untitled
Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820

修理から帰ってきたNorita66でうさ太郎をモデルに撮影。













Untitled
Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820















Untitled
Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC

右端に縦の露光不足が出ています。これはもう直らないのかな。













Untitled
Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC

35ミリでこの距離だと平面的になりますが中判だと 被写界深度が浅いので
ボケの中に対象が浮かび上がってとても印象的になる訳ですね。

ボケの中に対象が浮かび上がるというのはマクロですよね。
つまりこれはマクロのボケ方ですよ。
それなのに対象は(マクロで撮る虫とかじゃなくて)普通の大きさなわけです。

ということは例えば仮に僕らがガリバーになって小人国に 来て
マクロレンズで小人国の世界を覗いたらこんなふうに見えるんじゃないか。
それが中判の写真の不思議な立体感の秘密なんじゃないか。












Untitled
Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC

あるいは本来僕らには世界はこんなふうに見えているのに
35mmで普通に撮ると立体感が乏しいのに
6×6で撮ると僕たちが見ている立体感に近く見えるから印象的なのか。
確かに僕たちの左右の目の間隔は6cmなんだし。


対象に焦点を合わせると、周りにある距離の違うものは焦点が合わないわけですが、
100m先の電柱と110m先の木は、左右の目の間隔が6cmの僕らの眼から対象まで線分を引くと
どちらの対象も眼からの線分の角度はほぼ同じなので
一方に焦点をあわせても、他方はボケない。

でも10cm先のペンと11cm先の鉛筆は、左右の距離が6cm離れた我々の眼から対象までの線分を引くと角度が大きく違うので、どちらかに焦点を合わせるともう一方には焦点が合わないのでボケる。
そしてこのボケを、我々は立体感という感覚に置き換えて知覚している。

写真は2次元だが対象とその周囲のボケによって対象までの距離と立体感を感じることが出来る。

それが、我々が感じる対象までの距離に反してボケ量が少ないと立体感が乏しいと感じ
対象までの距離以上にボケ量が多いと立体感が強いと感じる。

また、我々は経験的に、近くにあるふたつのものは一方に焦点を合わせると他方はボケるのに対し
遠方にあるふたつのものはどちらに焦点をあわせてもボケにくい。

つまり大きくボケているものは近くにあるか、小さいものだ。
あまりボケていないものは遠くにあるか、大きいものだ
というふうに解釈する習慣があるとする。

すると6×6で撮った自転車の周囲が大きくボケていると
その自転車は近くにあるか(マクロ)、小さいものだ(マクロ)と感じる。
しかし我々は実際の自転車の大きさを知っているので、実際以上に立体感を感じる。

あるいは逆に、35mmで撮ると自転車の周囲が大きくボケない。
するとその自転車は実際よりも遠くにあるか、大きなものだと感じ、
それが我々の知る自転車の位置や大きさと異なるので、リアル感が少ない。
しかし6×6ではその距離感や大きさが実際の感じ方に近いのでリアル感を感じることが出来る。

さらにいえば、ノクチルックスみたいな開放F値が低い(明るい)レンズは
絞りを開放した時の光の入ってくる間隔が広いので
我々の左右の目の間隔である6cmに近づくのでボケやすいと。
開放F値の大きな暗いレンズは光の入ってくる窓(絞り)の間隔が狭いために距離感が出にくいと。

撮像素子の大きなカメラはボケやすく撮像素子の小さなコンデジはボケにくいということも
以上のことをイメージすると直感的に理解しやすくなる。

そういう事?
いや単なる想像ですが。

twitter