2009/10/05

「ガワ」の肉体性

私たちが伝えているのは、コンテンツではなく振動かもしれない。
いや、それはただの振動ではない。
私たちが伝えているのは振動の様式(モード)なのだ。

「私はあなたを愛している」と言う場合、私があなたを好いているという事実は一つの固定的な情報だが、その言葉を腹の底から絞り出すように発したり囁いたり呟いたりしているのは身体である。

コンテンツというのは、情報であり固定的なイデアのことで、これは脳が作り出すものだけれども、振動というのは肉体が作り出している。

脳がコンテンツを作り、身体がそれを表現する。
コンテンツが「中身」で、表現が「ガワ」だとしたら、普段僕たちはガワよりも中身が大切だと思っているけれども、実は僕たちの間を流通しているのはガワである。

これは僕の直感なので、うまく説明できない。
僕たちの間を流通しているのはガワである。
そしてコンテンツに縛られているガワは振動が制限されている。
コンテンツから解放されたガワはよく振動する。

「神」というコンテンツを包む包装紙の役割を負っていた中世絵画は、神の力が弱まるにつれて、コンテンツから開放され、ガワだけで歩き始める。
だがやがて「開放」というコンテンツに縛られてガワは力を失う。

ガワはコンテンツに縛られると命を失う。

日本の伝統芸能はコンテンツがなくてガワだけで生き続けているような気がする。

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