2009/09/02

メタフィジカルな彼女

検査台に横たわる女性の足先だけが毛布からわずかに出ている。
彼女のペディキュアはターコイズ・ブルー。
鎮静剤の注射が終わるまでの短い時間、僕はそれをぼんやり見ている。
彼女の全体が「女性」という概念に抽象化されていく。

ペディキュア、マニキュア、口紅。
キラ肌ラメ入りファンデーション。
化粧によって女性はその物質性から軽々と飛翔し、まるで始めから抽象概念だけを生きているように見える。

むかし島田紳助が魅力的な女優を「その子の細胞の一個一個が全部「女」で出来てんねん!」と表現していたけど(笑)、ある種の女性は全身に隈無く女性性という抽象性が染みこんでいるのかもしれない。

化粧は意味であり、象徴であり、抽象化である。
女性はなぜ自らの物質性を抽象性で覆い隠すのだろう。

幼稚園の学芸会で船頭の役をするため化粧して衣装を着けたことを思い出す。
人は誰でも劇の舞台に上がるときはどうらんを塗ったりお化粧をしたり、その役の衣装を着たりする。場合によっては「お面」をつけたりもする。

先日のブログ『男の人とうまく付き合う方法』で、男性は三つの劇を生きていると書いた。
男性とうまく付き合うために、女性は男性の「劇」に登場してある役柄を演じなくてはならない。
劇に登場するために、人はいったん自らの物質性を捨てて抽象的な「意味」や「象徴」や「役柄」を身に纏う。

女性は男性の視界の中に女性として登場するために、多少とも物質性を捨てて抽象性を纏(まと)わざるを得ないのかもしれない。
逆に女性達は劇ではなく赤裸々な現実を生きているので、男性は化粧の必要性を感じないのだろう。

男性は頭の中が抽象的で外観は現実的。
女性は頭の中が現実的で外観は抽象的。
ちょうど逆になっているのが面白い。
僕たちの外観は異性の脳を反映しているのかもしれないな。

2 件のコメント:

  1. とかげ9/02/2009

    >ペディキュア、マニキュア、口紅。キラ肌ラメ入りファンデーション。
    全て私には無縁のモノ。お化粧は時々。

    男女の脳のしくみは異なるけど、もし外観が同じだったらって想像したら・・・・・つまらないですよね、やはり。
    というか笑っちゃう。

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  2. >とかげさん。
    世の中はどんどんユニセックス化が進んでますね。
    化粧する男性も増えてるし、化粧しない女性も増えています。
    男性の脳が現実的になり、女性の脳が抽象的になってきてるのかな。

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