2009/07/22

我々が採用している物語の構造

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日々の生活の中で、僕たちは目の前で繰り広げられるいろんな出来事や他の人たちの言動に一喜一憂する。
五感に入ってきた段階では単なる映像や、音に過ぎない刺激が、脳の中ではあるお話に組み立てられ、それが私達を一喜一憂させる。
芥川龍之介の「藪の中」や「羅生門」は、同じ刺激を受けてもおのおのが自分たちに都合のいい、異なったお話を組み立てていることを表現している。

そこまではわかっていたのだが、今朝車を運転しながらふと気が付いた。
僕たちが採用している物語には「構造」があるんじゃないだろうか。
つまり、僕たちの人生の根部を作っている大きな物語があって、それが常にある種のムードを醸し出しており、日々の生活で出くわす個々のシーンは、その大きな物語を通奏低音にして浮かび上がってくる小さなモチーフのようなものかもしれない。
僕が言いたいのは、個々のお話の背後には隠れた大きな物語があるのではないかということ。僕たちの作るお話には二重構造があるのではないかということだ。
そして小さなお話は、音楽を聴いたりすることだけでも容易に変化するが、大きな物語はなかなか頑固で簡単には変化しないのではないかということ。


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