2009/07/16

未来

R0012107
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僕は京都で浪人生をしていた時に深い絶望の中にいた。
世界の全ての情報を知っていて、世界の全ての自然法則を知っているものは、全てを予測できる。
これを決定論というが、僕の未来は決まっていて、どうあがいてもその宿命から逃れるすべはないと考えていたのだ。
その当時僕は量子力学を知らなかったので、決定論の呪いから抜け出す方法を知らなかった。
でも僕はそんなある時、因果律を存在させているこの世界の存在そのものは因果律では説明できないということに気が付いて無性にうれしくなり、松岡正剛の雑誌『遊』に投稿して読者欄に載せてもらったりした。
それは僕がGKチェスタトンの『木曜の男』にヒントを得た発想だった。
僕はこの『木曜の男』によって、世界と和解することが出来た。

転がるボールは5秒後にどこにあるか。
ボールの位置を正確に知るためには様々な情報が必要になる。

ボールの大きさ、質量、材質、位置、速度、地面の材質、ボールと地面との摩擦係数、空気の温度、湿度、空気抵抗、風向き、天気予報、地震予報など。

5秒後のボールではなくて、この世界の未来を予測しようとしたら、この世界の現在の情報すべてをコンピューターに入力して計算しなければならない。しかも計算の結果は常に同じとは限らない。映画『ジュラシック・パーク』でジェフ・ゴールドプラム演ずるマルコム博士の言葉で有名になった『バタフライ効果』(「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」)は、カオス理論を少し囓った人ならみんな知っているだろう。

そういった、この世界のすべての情報を入力することが出来て、しかもそれが変化する法則をすべて知っていて計算できる機械などというものは存在しない。

いや、ひとつだけ存在する。
それは「この世界」そのものだ。

この世界の未来を予測するための最小単位のシミュレーションモデルはこの世界そのものなのだ。
われわれはこの世界を生きることで、この世界の未来を時々刻々体験しているのだ。
この世界そのものが、1秒に1秒ずつ未来へ進む唯一無二の巨大なタイムマシーンなのだ。

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