2008/07/30

とんでもない2馬力

暴走する尼さん。

言葉の浮き輪

  

一羽の蝶のように軽々とこの世に生きていて
ただわずかに自分自身であれば
それでよかったのではなかったか


それよ
私は私が感じ得なかったことのために罰されて
死は来たるものと思う故



つらさに耐えかねて茫然と宙を見上げるときにいつも決まって心に浮かぶこの言葉達。
最初のは黒田三郎。後のは中原中也です。

2008/07/27

sunburst

ベランダから空を見上げたら後光のような光が!
1枚目は僕の撮影。2枚目と3枚目は大学の夏休みで帰って来ている娘の撮影です。



2008/07/26

夏らしい夏

いやー ついにやってきましたね。夏らしい夏。

いや別にどこへ行く予定もないんですが。

ただの犬の散歩ですが。


ピンクの立葵。


ロイヤルハワイアンみたいなピンク。




まあひと仕事終わったし。空を見上げれば見事な夏空だし。
なかなか気持ちがいいですね。

2008/07/21

A Wild Sheep Chase


SDIM2368, originally uploaded by slowhand7530.

ふとしたきっかけで本棚の奥にしまっていた村上春樹の「羊をめぐる冒険」を取り出して読み始めた。
僕が一番集中して彼の著作を読んだのは大学を卒業してしばらくしてからだから、それから随分立つけど相変わらずすごくおもしろい。
驚いたことに、そしてうれしいことに内容をまったく覚えていない。
また一からこの本を味わえる。

新聞記者になったら



新聞記者になったら僕はペンとカメラをもって世界中を駆けめぐり巨悪に光を当て虐げられている弱者に光を当てるんだ。ぼくは社会の正義のために闘うんだ。そんな熱い思いで新聞社に入ったら先輩が言った。「いろいろあるわけよ」


ペンを持つものはいろんな思惑に配慮しなければならない
弱者が虐げられている裏には大きな政治的力が働いていたり
社会のシステムが必要とし社会のシステムの中で重要な役割を担っている巨悪があったり
構造化された弱者を救うことはとてつもなく困難だったり
巨悪の当事者は社会構造の中でみずから進んで悪の役割を買って出たわけではなかったり
事件のほとんどは悪意を契機にしていなかったり
いわれなき当事者を生け贄として血祭りに上げることが新聞社の仕事の大きな柱であったり
スポンサーの意向を無視しては記事を書けなかったり
将来の日本の行く末を視野に入れることで記事の内容を曲げたり消したりしなくてはならなかったりそれが実は政治的な圧力のせいであったり政治的な圧力が特定の利権団体を利するためであったりそれを書くことが許されていなかったり
新聞社の中での力関係を配慮しなければならなかったり
新聞社の中に大きな悪が隠れていたりそれを書くことはもちろん許されていなかったり
新聞社を首にならないために黙っていなければならなかったり
政治家に情報を提供してもらうために政治家の不利になることを書けなかったり
スポンサーに便宜を図らざるを得なかったり
政治の流れがすごく見えているのにそれを書くことが許されていなかったり
自分でも書いた記事があまりに薄っぺらでほとんど内容は何もないということを自分でもわかっているけどどうしようもないんだこういうふうにしか書くことを許されていないんだと自分を慰めるしかなかったり
ジャーナリズムの世界そのものが清濁併せのむこの社会の縮図そのものだったということや
何も物を言えない自分自身が清濁併せのむこの社会の縮図そのものだったということや
でも何の根拠もなく自分はジャーナリストだと自負しなければやっていけなかったり
路上で雑談するおばさんや銭湯でくつろいでいるおじさんよりもこの世界の本当のことをしゃべることが一番許されていない職業は実はぼくら新聞記者だったということに気が付いたり
社会正義という商品を売るのが商売なのに社会正義から最も遠い商品しか提供出来ていないことのつらさに日々耐えなければならない。
全ての大人たちはそうしている。
特に「きれいごと」に近い仕事をしている大人たちは。

2008/07/20

めげずに山へ


ハードな日々が続きます。
ここはひとつ、山へでも行って栄気を養うか。



工場に夏はよく似合う。工場は夏の季語か。






リスもがんばっている。
山の火事は危険なんだ。
















かんかん照りの険しい山道を登って降りてきたら全身汗だくになったので家に帰ってシャワーを浴びてスイカをガツガツ食べてクーラーの効いた部屋でデッキチェアにもたれてフー。

2008/07/18

twitterで壁紙



twitterを開いたらメンテ中。
でもこのクジラの絵はなかなか可愛い。
デスクトップの壁紙にもらっちゃおう。



クジラの絵だけを切り抜いてダウンロード。パソコンのデスクトップに設定。並べて表示を選ぶと、



こんな感じです。

今日の3冊


今日は本屋さんでこの3冊を買って、夕立の中急いで帰ってきました。
どれもおもしろそうです。
内田百閒。
気にはなっていたんですがなぜか今まで読んだことがなかった。
選集だし、はずれは少ないだろうと手にしたら解説が赤瀬川原平さん。
おお、これは買うしかないでしょ。

2008/07/14

誰も知らない



僕はgenuineな関西人の御多分に漏れず「ごっつええかんじ」以来のYOUちゃんのファンで、彼女の出演した映画「誰も知らない」はいつかは観たいと思っていましたが、生来の出不精ゆえ映画館にも行かずDVDも借りず、こないだ深夜に放送されたこの映画を録画してようやく観ることが出来ました。

お昼に一人でGooTaを食べながら見始めたんですが画面に眼が吸い寄せられてしまい、そのまま最後まで映像から目が離せなかった(うそ。途中で亀の水槽を掃除した)。
見終わるとちょっと置いてきぼりを食った感じでぽつんとしてしまう。でもそれはたぶん僕がドラマを期待していたからだろう。
実話をもとにしたちょっとショッキングな話。それだけに、観る側は何らかのドラマ性を期待してしまう。でもこの映画にドラマは起きない。

僕は映画をあんまり観ないので、ディープな映画ファンには顰蹙かもしれませんが、この映画を観た翌日に車を運転しながらぼんやり考えていた。
ドラマチックな映画というものがある。それは起承転結がはっきりしていて、観た人が強いカタルシスを感じるもの、例えていえばシルベスター・スタローンの「ロッキー」のような映画。こういう映画にはドラマの時間を統率する神の視座がある。
神の視座というのは運命、テーマ、主題、意味性などと言い換えてもいいかもしれない。時間の流れには意味があり、全ての素材がクライマックスに向かって収斂する。

だが「誰も知らない」はドラマではない。
テーマがなくて、描写そのものが目的な行為ってなんだろう。
それは「デッサン」だ。この映画は例えていえば「丁寧なデッサン」だった。
「時間」はあるが中心やクライマックスはなく、ただ時間が流れる。
素材の一つ一つが最初から最後まで愛情を込めて描写される。
その描写がとても丁寧なので、僕らの目は画面に釘付けになる。

絶対者がいなくて、クライマックスがなくて、つまり時間に歴史性がなく、細部が丁寧に扱われ、時間はただ流れる。それはきわめて日本的で松尾芭蕉的。
この映画を見終わった翌日、僕は自分が是枝監督の目で世界を見ていることに気が付いた。この映画がくれたのは監督のきめの細かい慈愛で人生のディテールを観る「眼」だったような気がする。

2008/07/13

Good Day Sunshine


久しぶりに天気のいい日曜日。
The BeatlesのGood Day Sunshineを口ずさみながら庭に出た。




夏は庭のプチトマトがなります。



どんどんなるよ。




庭のキューリのツル。がっちりつかんではなさない。
よじのぼっていくよ。


ヒュルルルル



ツルはそれぞれ形が違っていておもしろい。



英語の筆記体みたいなツル。
森永ミルクキャラメルの包装紙のキャラクターの頭にこんなロゴがあった気がする。



この子は16年ほど前に夜店で買ってきたクサガメ君。
今日は亀の水槽を洗う日だ。
ほら、ちゃんとみなさんにご挨拶して。



「かめちゃん」(本名)のアップです。
水槽が大きくて洗うのが大変なので洗う頻度は月に一回くらいかな。
水槽を洗う日は庭を散歩出来るので彼は大喜び。



本当にこの日を待ちかねたようにすごいスピードで庭を歩き回ります。
とにかく速い。
写真に撮るのはほんとに苦労しました。

日本家屋に住みたいな

人生も後半戦に入ると、散らかすことよりもまず片付ける方を考えてしまう。
新しく何かを手に入れるということは、それに付随して身の回りを散らかすことだから
手に入れたことの喜びよりも煩わしさが先に立つ。

若い頃は欲しい物がいっぱいあった。
でも歳を取ってみると取り立てて何が欲しいということもない。
たまにそのことに思い至って愕然とする。
ああ、僕はもう店じまいなのか。

時々甘い思いで夢想する景色がある
雨は地面を穿ち
軒下に数珠のような水たまりを作っている
僕は雨の匂いを嗅ぎながら縁側に腹ばいに寝ころんで
裏庭の景色を見ている

そういう景色を見たいならやっぱり日本家屋でなければ。
もしもお金持ちになったら
こんな家に住みたいな。
そんな欲望がまだ僕に残っていることがうれしくてふらっと買ってしまった本。
やんごとなき人々が葉山に建てた魅力的な家屋の数々。
いやべつに別荘じゃなくていいけど(笑)
この本の写真を見ているといろいろ夢が広がります。




2008/07/11

明けの森


当直明けに森へ行きました。
なぜに。
いや、このまま寝たらすぐに一日が終わってしまうので。
マウンテンバイクで森へ行きました。
なかなか夏らしいスカッと晴れた空になりません。
だもんで森で緑を堪能しました。
でも眠い。
これは塀を覆う緑の苔。



鮮やかな赤い実。
名前は?
たぶん「なんとかイチゴ」。



森の暗がりで怪しく光るシダの葉。



苔に覆われた倒木。
宇治茶の粉をまぶしたような。
こんなお菓子がありそうな。



倒木の苔の間からまた若いイノチが。



倒木を覆う苔
あるいはシダの影。



ネムノキの花が満開。おいらも眠い。



この樹に近づいたらブーーンと、樹全体が音を立てていた。
何の音かと思ったら、
栗の花に似た黄色い花が満開で、ハチたちがすごい数、群がっていました。
この樹全体に群がっているハチの羽音だった。
何の樹だろう。きれいな葉っぱ。
調べたけどわからない。
わからないことだらけざんす。



確か去年の今頃もネジリバナの写真をアップしました。
一年たちました。双六の駒も一周まわってネジリバナ。

夏よ早く来い!









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